2050年の地球の姿(推測)
 
2050年における世界の人口は2000年の国連統計によると93億人となっていて、人類の居住可能な範囲を越える恐れがある。従って21世紀の後半以降人類の生存の為に、国連などで全人類が協調して、人口の管理を如何するかの議論がなされ具体的な対策が取られ出しているであろう。
食料需給については人口の増加、所得の向上特に開発途上国の栄養改善などから需要の増大が予測される。その反面耕地の面積の減少や耕地、放牧地の砂漠化、農業用水の枯渇、地下水の汚染などから、生産拡大は容易ではないと考えられる。一時地球の食物生産力の限度は80億人分という意見があったが、これは少し悲観的過ぎると思われるが、世界の食料需給の逼迫は相当厳しいものになる事は間違いない。遺伝子農業は原子力発電と同じような世論の非難を受けているが、農業の生産性の向上に大きな役割を果たすようになり、人類の将来を救う手段の一つになるであろう。
二酸化炭素等の排出量の増加によって、地球の平均温度は2000年より約0.5℃上昇すると見られているが、海面の上昇はまだあまり顕著ではないであろう。氷山の溶解には時間遅れがあり、まだあまり進んでいない為と見られる。しかし、森林の荒廃は極度に来て、真に国際的な復活の努力が地に付いてくるところであろう。しかし少々皮肉だが、二酸化炭素の増加、気温の上昇は、農産物の生産性向上には有用であるという見方もある。
2000年におけるエネルギー資源の確認可掘埋蔵量の推定値は石油:40年石炭227年、天然ガス61年、ウラン64年(高速増殖炉の開発によりプルトニウムの利用が適切になされれば、利用効率は約100倍になる)である。ウランのプルトニウム利用と石炭を除くと数十年の範囲と予測されていて、2050年にはエネルギー源は枯渇に近づく筈であるが、おそらく過去の埋蔵量の推定がそうであったように、この時期が近づけば、又違った数字が出て来て、資源の終末は伸びるであろう。しかし完全に枯渇しなくても、枯渇が近いとなると、思惑から資源の売り惜しみ、価格の高騰などが起こり、世界経済が大きく混乱する可能性がある。
2050年のエネルギー問題の深刻さの度合いは、それまでの50年間に、原子力発電、特にプルトニウムの有効な利用が行われたか否かによる。プルトニウムを有効に利用する為の高速増殖型発電設備の開発が進められているが、未だ量的には不十分である。又更にその先の世紀の為に、より進んだエネルギーの確保のための技術開発、事業開発がなされていよう。
アジアにおける生産の分業体制が確立され、中国が自由主義国家になって、経済的な協調が取られるならば、アジアが世界の生産工場の位置を確保する事になり、世界の経済圏がEU,南北アメリカ、アジアと三極に別れ、全体のGNPは三極ほぼ同じレベルになっていよう。日本の相対的な経済的な位置は低下しているが、この体制の中で指導的な地位を保ち、現在の経済レベルを維持していくためには、新技術の開発と、国民の勤勉さを再度復活させて、発展してくる国々に負けないだけの努力の必要性が求められている。
国際的な関係では、イスラエルとパレスチナとの武力闘争とか,アラブ過激派のテロのような局地的な宗教、民族の争いは解消していなであろうが、大国間の紛争解決のための大戦争はもうない。これは20世紀の後半に人類が作り上げた新しい国家間の関係が定着し国家間の原材料、食料、生産などの相互依存性が大幅に高まったためである。
以上この先50年後に人間社会がどうなっているかを予測しては見たが、予測はまさに予測以上のものにはなり得ない。
今から50年前というか、世界の動きは日を追うごとに早くなっているから、これからの50年に相当するとものとして1.5倍見た75年前を省みると、昭和元年第一次世界大戦の終結した直後であって、世界は全く違った様相を示していた。
この時期世界の指導権はイギリスからアメリカに移り出した頃であったが、帝国主義、植民地の開拓は新しい植民地になる土地がなくなったこともあって、時代も変わろうとしていた。世界大恐慌の嵐が吹き荒れ、社会不安が高まり、暗い時代であった。丁度この頃資本主義と共産主義という二つのイデオロギーの闘争が始まり、それからの四分の三世紀はその壮大な人類の実験が終結を見るまでの期間であった。(天野牧男)
電気自動車
 
電気自動車、略称EV車は自動車に搭載したバッテリーに蓄えた電気で、電動モーターを駆動して走る排気ガスを出さず騒音も少ない事から、地球環境対策として大きな意義を持つ。このため我が国では、政府、自治体などが普及対策を打ち出している。しかしコストや充電間隔に問題があり、ガソリンエンジン車のような走行距離、速度が得られず、電気自動車の利用は小さい地域内での特殊な用途に限られており、広範な実用までには到っていない。しかし充電する電力が原子力発電所からのものであれば、二酸化炭素の発生には関与することなく運用できる意義は大きい。2010年の電気自動車の導入目標は11万台であるが、達成にはかなり困難があるようである。
今後の伸張のためにはバッテリーの開発が鍵になっている。充電能力が高くて安価なバッテリーが大量に製作されるようになれば、現在ある電気自動車の欠点は殆んど解消され、利用は飛躍的に増大する。(天野牧男)
人間社会の各種リスク
 
一般的に、ある活動の結果を確実に予想できない状態、あるいはその活動に伴って不測の結果が発生する可能性がある状態をリスク(risk)と言い、辞書では「危険」と訳し不利益を意味する言葉とされている。しかし、例えば自動車という便利な乗り物の普及に伴う交通事故の増加のように、利益を得る代償としてやむを得ない災いと解釈して、「損失の可能性と同時に利益の期待」をも意味している。リスクには、起こりうる結果の事象とその確率がわかっているものから、結果も確率も判断できないものまで、さまざまの程度がある。
さて、交通事故は、毎日多く発生しているが、個々の事故で被害を受ける人の数は限られている。一方、航空機事故は、稀にしか発生しないものの、同時に多くの犠牲者がでることになる。例えば、「自動車と航空機とどちらが危険か?」ということを評価するには、「おのおのの事故が発生する頻度と一回の事故で発生する犠牲者の平均人数を掛け合わせた値」を比較すればよいことになる。このように、「事故の発生頻度×事故の影響の大きさ」からその事故の危険性を評価する方法を「リスク評価」と言う。
すなわち、事前にリスクの内容や程度を評価し、最善の状態を得られるように対策をたてるとともに、好ましくない結果が実際に生じたときに適切な処置がとられるように計画・管理する一連の過程をリスク評価ないしリスク管理と言う。
原子炉施設においても、他の産業での事故や自然災害に起因するリスクに比べ、原子炉施設のリスクが十分低いというような比較のほか、改造や改良により原子炉施設のリスクがどの程度低減されたかの分析にリスク評価が採用されている。
前の評価では、他の産業での事故、自然災害又は疾病などによる死亡リスクにくらべて、どの程度低いのかを比較するために、公衆に過大な放射線被爆を与える事故の発生確率と、被爆に伴う健康への影響から評価される「急性死亡や晩発性ガン死亡」というような指標が用いられる。
また、後の評価では、施設の過大な損傷の可能性が改良等によってどの程度低減されたかを分析するために、トラブルの発生頻度とトラブルの拡大を阻止するための設備の故障確率を用いて評価される「炉心損傷頻度」や「格納容器破損頻度」といった指標が用いられる。(小笠原英雄)