21世紀に日本が存続していくために

高速増殖炉を日本の基幹技術にする意味

エネルギー問題に発言する会 天野牧男

 

21世紀に日本が国際経済の面で、新しい展開に対応していくためには、他国に負けない科学技術の開発が喫緊の問題である。特にアジアに革新的な産業体制が出来つつある現在、そのなかで指導的立場を維持していくためにも、新しい技術を欠かすことが出来ない。高速増殖炉の技術開発はそのためにも、極めて有用なものである。

さらにこの世紀の最重要問題であるエネルギーと環境の維持のためには、ウラニウム資源の活用が必須であり、それには増殖炉実現があって始めて可能となる。わが国の力を尽くして達成する、ナトリウム冷却型高速増殖炉の早期の実用化がもたらすものを、是非考えていきたい。

 

アジアの新しい産業体制

昨年末にラオスの首都ビエンチャンで開催された、ASEANと日中韓三カ国との合同会議は、相当に注目するべき内容を持っている。これは明らかに新しいアジアを目指すものであって、21世紀前半のアジアはこの会議で提唱されている東アジア共同体に向かって、おそらく進んでいくであろうし、本年東アジアサミットが開催されることになった。これは明日のアジアを作る、まさにあるべき方向であろう。

20世紀の後半、工業の発展が国家の経済発展の主要な手段になり、植民地の様な形などで傘下に入れる地域を増やすことは全く意味を成さなくなった。植民地の経営は各種の民族的な摩擦を増やすだけで、その富の拡大にはつながらない。産業国家にとって必要なことは、それぞれの国の長所を生かした共同生産体制である。

高度成長を達成したわが国において、その帰結は生産性の向上を上回る、賃金の高騰となって、製品の国際競争力を著しく阻害しだした。この解決方法の一つが、賃金水準の低い国への工場の進出であって、昭和50年代には韓国から始まり、台湾を含むNIEs諸国に広がり、さらには東南アジアのASEAN諸国への生産工場の展開が、急速に進められることになった。

その分業体制の一例を、2003年の通商白書に分かり易い絵があったので、紹介させていただく。これは一つの製品を仕上げていく上での相互依存体制以外の何者でもない。こうやって生産された自動車が売れれば、それによる利益は関係者全体のものになる。

アジアにおける新しい体制は予想を超える速さで進展してきた。1981年には域内の貿易の総額が1043億ドルであったのが、2001年には7026億ドルに躍進している。この間世界全体の貿易額も拡大しているが、それを倍以上上回るものである。

20世紀の前半まで、領土の拡大を至上命題としてしのぎを削り、戦乱の悲惨さをいやというほど味わった人類が、到達した一つの解決は、こういった産業の相互依存体制の確立である。勿論この体制が出来たからといって、他からの施しや援助を期待していたのでは、その国の生活レベルの向上は期待することは出来ない。それぞれ自己の持つ能力や優位性を最大限に生かして、担当部分の業績を上げ、生産性の向上に資する厳しさからは逃れられないことは言うまでもない。

 

戦後の日本産業ー世界最高の生産技術を構築

わが国は戦後の荒廃の中で、産業の発展によって国の復興を意図したのは、きわめて正しい選択であった。欧米の各種企業から、既に完成された製品のノウハウを購入し、力を尽くしてその生産技術を自分のものにする努力を重ねた。そこで力を尽くしたのが生産性の向上であったが、生産性を高めるためにもっとも必要なことは、生産過程における品質の高度化であることを、身をもって体験し、それを実際の生産の中に取り込んだ、わが国の産業界の先見性には、いくら高く評価しても、しきれないだけの価値がある。

品質が高くて故障が少なく、性能の良い自動車が、安い価格で売り出されれば、その販売量が増加しないはずはない。これは何を作るかが高度な技術であって、いかに作るというのは、職人がやるレベルの低いものだという、欧米の認識とは明らかに相違するものであった。

原子力発電所の建設においても、その建造コストを下げる最善の方策は、きちんとした品質管理の下で作業をすることであり、その製造過程での欠陥の発生を最小限にして、いわゆる「むだ」をなくするシステムであるというのが、建設に携わった企業の基本理念であった。

 

これからの新技術

現在新技術として数えられるものは

ナノテクノロジー

バイオテクノロジー(遺伝子組み換え)

通信技術(携帯電話)

燃料電池

二次電池

高速増殖炉

自然エネルギー

核融合炉

などであろうが、これらのすべての面で、わが国の技術は少なくとも先進国の中で、遅れを取っているものはない。ということはもはや、かってのわが国のように技術を学ぶ先生はないということで、技術が必要であれば、自分であるいはどこかと共同して開発していくしか、方法がなくなってしまった。このことは勿論わが国の科学技術の面でも、素晴しい躍進を遂げてきたことによるわけで、誠に慶賀すべきことではあるが、これから自ら開発をするという、難問に直接当たっていかなければならないことを意味するものである。

 

新技術に伴う問題−失敗を許容しない国の発展はない

実はここに一つ問題がある。それはわが国の産業の発展にあたって、既に開発された技術を基に行ってきたため、欧米の国々で経験したような、開発に伴う苦い経験をすることなく,今日まで来ることが出来たということである。これはきわめて素晴しいことではあるが,失敗しないことがあたりまえだということになって、技術開発には失敗が避けられないという認識が、すべての階層において不足している。特にジャーナリズムの社会での認識は極めて薄弱であると思われる。

勿論いい加減な対応をしたためとか、真剣味のない開発には厳しい批判が必要であるが、人間の能力を考えると、新しいことをして、全く失敗をしないということは、よっぽどの幸運であろう。ただ新しいシステムを作る場合には、思いがけない事故等が発生して、そのプラントは停止しても、人身への危害は極力避ける配慮は徹底的にしておく必要はある。今発電用原子炉の中核をなす、軽水炉型の原子力発電所において、この面での配慮は大変なものであった。

失敗をした場合に大切なことは、その事実を正確に把握し、原因と対策とをきちんとたてて、再発を防止する対応をすることである。特に新しい技術の開発の過程では、失敗と言うより、期待した性能が出なかったり、予定通りの動作をしないような事象もかなりの割合であるものである。問題はこのことをどう処理するかということと、事実が正確に把握できるあり方がもっとも重要である。この点については、本誌の10月号に「原子力発電に隠すものはない 速やかに分かりやすく情報公開を」という記事を掲載し、警告したつもりである。

このことは一方失敗に対する社会の受容の程度とも大きな関係がある。悪意でない失敗に対する許容度を高めることは非常に重要なことである。失敗を責めるため、そのシステムの再起動を許さない社会的な対応は、わが国の将来の発展に対する、重大な妨害行為になることを認識してほしい。高速炉の原型炉である「もんじゅ」が事故を起こして運転を止めて以来、既に9年たった。確かに設計に充分な配慮がなかったことや、事故発生時の対応に問題があったことは事実であるが、そのために何故9年もの間停止しなければならないか全く理解できないし、このことによる損害は計り知れないものがある。少し極端な言い方かもしれないが、特に原型炉として各種の試験をするために建設したプラントであるのであるから、運転してみて、色々設計時に予定しなかった問題が出てきてくれることが、その目的であった。優れた計画をされた、関係者の卓見を無にするものである。

 

これからのわが国の目指すもの

21世紀のエネルギー問題は深刻である。20世紀の産業発展を支えた石油資源は、既にその相当量が消費されてしまっている。さらに現在真剣に論じられているCO問題と、極めて限られた石油資源を、エネルギーとして使いきってしまっていいのかという問題がある。現代の人類にとってはこんなに便利なものはないであろうが、だからといってほしいままに消費してしまうという態度は、少し改める必要があるのではないだろうか。我々の後から生まれてくる、後世の子孫は、浪費されてしまった資源のことを、またその浪費した先祖をどう思うであろうか。

石油資源に変わるウラニウム資源においても、実用的に利用可能な量には限りがあり、今の熱中性子型の発電所では70年ぐらいが、経済的に可掘出来る限度という見通しがある。この程度の期間であると、人類が次に利用するであろう核融合や、自然エネルギーの実用化までの期間としては相当に短すぎるのではないだろうか。ウラニウムという元素のなかに、核分裂を起こすウラニウム235がわずか0.7%しか残っていない現在、人類が原子エネルギーを利用する技術を開発できたということは、極めて幸運というか、素晴しいめぐり合わせであると思うが、このウラニウムをプルトニウムに核変換することで、90倍を超える潜在的なエネルギーが利用できるということもまた素晴しいことである。

現在の自然エネルギーの技術では、太陽エネルギーを実用規模での利用するまでにはいたっていないが、この利用度を高めるための、革新的な技術の確立までは、まだ相当な日子がかかりそうである。核融合技術を実用のものになるのはそう近い時期とは思えない。その時まで、何でエネルギーの供給をするかということを考えれば、高速増殖炉の重要性が、今さらに認識される。

 

危険でないものは役に立たない

プルトニウムという元素の扱いはかなり危険な面もあって、その管理には高度な慎重さが必要であり、テロの武器として盗まれることへの対応など、厳しい管理が必要である。しかし人類がエネルギーを、特に電気というような極めて便利な、安価で、かつ安全なエネルギーを利用するにあたって、何の注意も払わないでそれが得られることを期待するとか、危険だから駄目だというのはあまりにも短絡過ぎる。

少し前に「危険でないものは役に立たない」という一文を書いた。自動車の便宜さを疑う人はいないが、その燃料のガソリンはかなり危険な物質である。自動車自身にも相当な危険が伴う。危険なものを管理し、害を及ぼさないようにしながら、有用なものにするのが技術であり、人類の英知である。またそのことによってのみ、現代の快適な、高度な生活の維持が可能である。

 

日本の将来を担うのは高速増殖炉

現在の地球の資源の状態や環境問題などの観点から考えれば、エネルギー源をウラニウムとさらにその有効利用の手段としての高速増殖炉をはずすわけには行かない。

高速増殖炉の開発はむしろ軽水炉より先に手がけられたような面もあったが、現在世界で運転している、高速増殖炉はスーパーフェニックスが停止して以来、照射研究用としてのフェニックスとロシアのBN−600ぐらいである。BN−600は熱電併用の炉で22年間順調に運転されてきているが、これは数少ない例である。スーパーフェニックスが何故解体されるにいたったかのストーリーは既によく知られていることであるが、この炉が停止させられる直前には、フルパワーで順調に運転が続けられていた。1997年社会党のリオネル・ジョスパンが政権をとるためには、緑の党を引き入れることが必須となり、その条件としてスーパーフェニックスの解体を認めざるをえなかった。これは極めて愚劣で短期的な視野による政治判断のためであったと、フランスの知人が吐き捨てるように話していた。

世界でこの将来性のある高速増殖炉が、殆ど運転されてなく、本格的な研 究が進められていない今ほど、わが国でのこの分野の開発が必要であり、見方を変えれば、わが国の技術的優位性フェーズUの設計での改善点の一例を確保するための絶好のチャンスでもある。

現在核燃料サイクル機構で高速増殖炉実用化の研究が進められていて、最近そのフェーズUの中間報告が発表された。このなかでは4種類の高速増殖炉が検討されているが、筆者はもっとも可能性が高く、検討の内容も深く進められている、ナトリウム冷却炉に絞って開発を進め、実証炉の建設に邁進してほしいと願っている。先の図はこの新しい計画で検討されている、主配管の革新的なアイディアであるが、もんじゅと比較して大幅な改善が見られる。わが国の持つ能力を結集して、従来の先進諸国に先駆けた技術開発を是非行っていただきたい。

 

推進の中心は国

この建設や運転は国が中心になって進める必要がある。これはあくまでも国家の意思でなければならない。21世紀のこの国の存立にかかわるテーマであるからである。同じくこの雑誌の7月号に「小泉総理に求めるもの『エネルギー問題統括委員会』の設立を」という小文を載せた。エネルギーの問題は個々の省庁のテーマではなく、その方針は内閣として検討すべきではないかというのがその趣旨であったが、その立場での考察をお願いしたい。また高速増殖炉も単独に成立するものではなく、核燃料サイクルの総合的なシステムの一環であることも念頭に入れた対応が必要なことは言うまでもないことである。

またこの段階の開発は、自由化によって市場経済体制の枠に取り込まれた、電力会社に求めても、進捗する問題ではない。

 今までも述べてきたように、この炉には、各種の革新的な技術や設計が織り込まれており、システムを完成させて、この技術を日本の基幹産業にする意味は極めて大きい。まさに国を挙げての努力が期待される所以である。